登山道でたまに見かける積み石って何のためにあるのか?

登山・アウトドア

山を登っていると、登山道の脇に石が積んであるのをみかけたことは無いですか?

この積み石は一体なんなのでしょうか。

積み石の意味

僕はこの積み石を見るとちょっと怖くなります。

何故かというと、昔『地獄先生ぬ~べ~』で石を積む話があり、その内容が切ないからです。

その話というのは、「親より早く亡くなった子どもは、親不孝ということで地獄の河原で延々と石を積む苦行をさせられる。最後まで積み上げれば終わりだが、積み上げ終わる前に鬼が来て崩してしまう。」というような内容です。(かなり前の記憶なので結構テキトーです・・・。)

だから、積み上げられた石を崩すというのはそういった子どもたちの苦労を踏みにじる行為になってしまいそうな気がしてしまうのが怖くなってしまう理由です。

20年以上前の記憶だと思いますがずっと引きずってしまい、登山道で絶妙なバランスで石が積み上げられているのを見ると崩さないように怯えながら横を通り過ぎています。

道標としての意味

ひとつは、道標としての造られているものがあります。

これは「ケルン」と呼ばれることが一般的です。

八ヶ岳の赤岳方面から進んで硫黄岳山頂付近にあるものがそれっぽいです。

硫黄岳の山頂付近は樹木が全く無く、人工的に造られたケルンに標識が付けられており、目印としての意味合いが高いように思います。また、高さもそれなりにあり、簡単には崩れそうにありません。

これはぬ~べ~らしさが全くない良心的な積み石ですね。

なんとなく積んでいる、ゲーム感覚の積み石

「前の人が積んでいるからなんとなく自分も積んでいこう」というゲーム感覚で一人一個ずつ積んだ石がいつのまにか高くなっていったというのもあるそうです。

僕はやったこともやっているのを見たこともありませんが、心理としては分からなくはない気もします。

僕自身もぬ~べ~のトラウマが無かったらやっていたかもしれません。

しかし、このような積み石不安定なため、崩れた時に危なく、あまり推奨されるものではありません。

宗教的・おまじない的な意味合い

もしかしたらその土地に潜む「何か」を封じ込めるために、地元の人が作ったものかもしれません。

なんとなく積み上げたれた積み石と見分けがつきづらいため、ぬ~べ~読者じゃなくても積み石がちょっと怖く感じてしまう人はこういった理由があるからではないでしょうか。

登山道ではなく、田舎の民家の前などの方がそういった目的の積み石が多そうですね。

ちなみに、新潟の人から聞いた話で、新潟に「日蓮」という心霊スポットがあるそうなのですが、その日蓮というのは、大きな岩が屋根になったようなところに祠や積み石があって、その積み石を崩すと祟りに合う、という心霊スポットだそうです。(崩さなければ大丈夫らしいです。何が大丈夫なんだか。)

おそらく、全国でそういう積み石を崩してはいけないスポットはいっぱいあるのではないでしょうか。

終わりに

多くの積み石はなんとなく積み上げられた意味の無いものであると思いますが、崩れたら危険なのと、万が一何かよくないものを封じ込めているおまじない的なものである可能性もあるため、見つけたら近づかないようにするのがいいかもしれません。

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